つぶやきです。。。
ただ、書き記しておきたくて。
ごめんなさい。
ずっと、肝硬変で体調を悪くされてた大切で大切で大切すぎる方が3年前からお酒をやめて良くなるために頑張っていました。
でも、3月に肝臓癌になってしまいました。
それも毎月採血していたのに、病院は隠していた。
内科の先生がおかしいと言ってくれて調べたら
腫瘍マーカーが40以下であって欲しいところ、11月には180。12月には300。1月には800、2月には6000。3月には15000。4月には37000。とんでもない数字が出された。
愕然としてしまいました。
…末期癌というのを知ったのが3月。病院をたらい回し。全てから匙を投げられ、80歳という歳はどうにもできないと言われたそうです。12月の時点では癌は7センチだったらしく、現在は10センチ。
なんでもっと早く教えてくれなかったのだろう。
会える時は会って笑わせ楽しんでもらうように・・・
絶対に治すんだ!って思っていました。
身体中が痒みが出てきた時も闘ってくれて良くなってきた矢先。
昨夜、足の浮腫と睾丸がものすごく腫れてしまったと連絡があり、早朝から病院に片っ端電話。
奥様も不安そうで・・・家にいきました。
結局どの病院に電話しまくっても却下。
病状を話すと受け入れてもらえない。
♯7119に電話して紹介してもらってもやはりダメ。
なので、救急車を呼ぶことにしました。
救急隊が来ても病院からは拒否の嵐。
2時間後、やっと遠い場所ですが病院に行くことができました。
奥様は高齢ということもあり、付き添いを頼まれ私が車で付き添いに。
救急隊は「なぜ奥様!来ないんですか!?」と質問攻めだったけれど、私一人で。。。
到着したら腫れを引かせてくれるだけかと思っていたら、即入院。
そして、悲しいことに家族ではないから、話ができないと。
わかってはいるけれど、ショックでした。
3時間待って、ご家族の方が来てくれて、私は帰って良いと言われるも、「ゆきえさんが居てくれたら」と言ってもらえ話を聞くことができました。
もう・・・
「家に帰れません」
聞き間違いかと思うほどびっくりしました。
本人は、帰れると思っている。
「ん?ゆきえちゃん泣いてる?」と心配されるくらい。
『息子さんと初めてお会いしたから感動しちゃったんだよ〜』と誤魔化す。
『似ても似つかないほど、ハンサムでびっくりした!』って。
自宅で最期を看取るかとの先生の問いに、奥様はお一人なので診られない。
もう帰れない。
でしゃばったことを言いそうになって言葉を飲む。
もう帰れないという先生の言葉が苦しくてたまならい。
私が救急車を呼んでしまったからだと・・・
入院手続きをするというので、家族でない私は先に帰りました。
でも車の運転ができない。
息子さんから「親父がゆきえさんを信頼し切っているのが伝わりました」とメールが来て、また胸が苦しくなる。
頑張っていただきたい。。。。
ご家族のためにも・・・
ご家族のためにも・・・
でも、泣くだけ泣いたら、私はしぶといので、まだ治そうと思っている。
1ヶ月は持たないと言われたけれど、治す!
私はバカだけど、信じる。